お知らせ

同窓生の声

2024.11.08

「同窓生の声リレー」 第1組第23者 新しい声を寄せていただきました〈令和6年11月〉

新しいホームページの目玉として『同窓生の声リレー』を始めました。お知り合いからお知り合いへ同窓生のつながりを拡げます。「同窓生の声リレー」運用について 

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第23走者 🙂 

【向山光子さん(旧姓:白鳥)(高校12回)】

「同窓生の声リレー」の唐沢八重美さんよりバトンを受けました、向山(旧姓:白鳥)光子と申します。

幼い日々の事ども

 12回生です。今年度の誕生日で83歳になります。我事乍ら信じられない思いの83歳ですが元気です。

 明治生まれの祖母は63歳で、大正生まれの母は73歳で亡くなりましたので、80過ぎで元気で暮らせる自分に有難く思う毎日です。

 63歳の祖母を思い出す時、常に盲縞の家織の着物で過ごしていた祖母が浮かびます。小柄乍ら9人の子を産み育てた祖母、13年程共に生活しました。その生活を祖母の一生を思い乍らお話ししようと思います。

 専業農家でしたので田と畑が仕事場、蚕が生活の主たる収入源。蚕のいる時期は蚕棚の間に寝たという程、蚕々で収入を得ていた様ですが、幼かった私にその記憶は曖昧です。冬期、女の仕事は機織り。祖母と母は十畳二間を使って機にかける工程の数々をこなし、糸から布に仕上げていました。

御近所の農家はどこの家にも機織機があり、党機関の女の仕事でした。どこの家からも“トンカラリ、トントンカラリ”の音が聞こえて、どこの家でも子沢山で、隣近所の子供達はもつれ合っての暮らしでした。そして少し大きくなれば、子供達の遊び場は家の前の道路。ほんの隅に荷車が通るだけの道路で縄遊び。多勢集まればドッヂボールで楽しく過ごしたものです。

 さて、祖母と母の機織。縢から織機にかける工程を私は説明すべくもありませんが。明治10年代生まれの祖母が唯にどの様に教わり会得したのか、母も祖母より前に実家で自分の物にしていたのか、祖母からの教えだったのか聞いてもみませんでしたが。部落どの家もその様なもので、どの家も機織機を持ち、冬中の仕事として居りました。主婦は皆マスターしていました。皆偉かったなぁ~と思います。

 そして、9人の父の兄弟の独立の仕度。男4人、女2人の結婚に際しての仕度は皆この女2人の手をかけた物だったのです。布団も皆家で仕立てました。女は箱の実も持たせなければなりません。叔母の仕度の赤い布は下の妹には美しくとてもうらやましかった様子で、「唯の着物?」と聞く学令前の妹に「お前のだよ!」と大人が言えば素直に喜んでにこにこ顔の妹でした。今でもそんな話で笑います。

 6人、7人、8人の子育ては当たり前だった昭和期、農業もきつい仕事ではありましたが、蚕を飼い、乳をしぼって、稲作をして生活ができていました。このような女性2代の生き様を見、考えた時、戦後生まれの私達は何と恵まれ、楽をして、豊かに育って来たものかと思います。が、今の働き盛りの人々、これから世の中へ出て行く人々を見、考えた時、複雑な思いを捨てきれません。どうか良い人生が送れますように。

まとまらない文章を連ねましたが、これからの生きて、生活して、子育てをして、日本を支えて行く人々が、家族揃って楽しく生活出来る日本である様願ってやみません。若い人々にそれを託して、私のペンを置きましょう。

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次回をお楽しみに!