同窓会

第32代校長 平澤校長挨拶

長野県伊那弥生ヶ丘高等学校 第32代校長 平澤 裕二

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平成31年4月、伊那弥生ヶ丘高等学校に赴任してまいりました平澤裕二と申します。
弥生ヶ丘には平成11年度から19年度まで9年間在職していましたので、何か不思議な縁を感じております。微力ではありますが、学校発展のため、弥生生のために力を尽くしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

伊那弥生ヶ丘高等学校は、1911年(明治44年)に長野県町立伊那実科高等女学校として開校されて以来、平成31年(令和元年)に創立108年を迎えた伝統校です。
『自主自律』『文武両道』の精神のもと、文化や社会の担い手として、これまでに2万6千有余人の有為な人材を輩出し、社会や地域の発展のために貢献してまいりました。

令和元年度同窓会総会で、山口通之先生の講演『大正~第二次大戦時の伊那高女(現伊那弥生ヶ丘高校)の教師群像』を拝聴しました。
講演では、井月研究の先駆者として知られる高津才次郎先生、同時期に校長を務め地質学の研究者でもあった八木貞助先生、伊那で山頭火を案内した前田若水先生などが取り上げられていました。

その中でも、大正12年から昭和8年まで校長を務めた八木貞助先生は、伊那高女の礎を築いた人物として特筆されます。その功績を幾つか挙げると、大正8年の伊那町大火により現在地に移転後、殺風景であった校地の緑化事業を行ったこと。教師自身が勉強・研究することが何より生徒を導く良い方法だとして、準備室や研究室を整備して個々の職員に研究を勧めたこと。そして何より、当時の校友誌『友垣』に寄せた巻頭言の一節が先生の教育観を鮮明に映し出しています。

 

「従来の児童生徒が、単に、教師から注入せられる知識や模倣的技能にのみ満足した受動的の場合とを比較して、雲泥の差あるを認められる。本校の生徒諸子も此の世運に鑑み、自学自習よく学問の真髄を咀嚼し考究するは勿論、又、芸術の方面にも各自の天分を発揮するに遺憾のない様にありたいと思ふ。」

 

今、高校教育の改革が叫ばれ、従来の知識伝達型の受動的な学びでなく、能動的な学び「主体的、対話的で深い学び」が求められるようになっており、本校でも電子黒板などのICT機器を活用して学びの改革が徐々に進められています。また、高校では専門性も重視されるため、教科ごとに研究室が設けられ、教員は切磋琢磨しながら教材研究や授業準備に当たっています。それにしても、今から100年近く前にこのような学びを提唱されていたことには驚愕するばかりであります。

1世紀を経た現在でも先達が遺してくれた伝統が校内のいたる所に息づいています。八木貞助先生が進めた植樹事業による桜並木と並木沿いのツツジ、そして銀杏並木を通って、生徒は毎朝元気に登校しています。春は満開の桜、赤紫や白のツツジの花、夏は新緑の銀杏、そして秋には黄葉した銀杏と、校歌にある「大樹森なす学び舎」には四季折々の美しい景観が見られます。

現在も、生徒たちは今までの先輩たちが遺してくれた伝統を継承しながら、校歌にある「悔いなき 青春を この丘に求め いのち 磨く」という歌詞のとおり、自らの可能性を高めるべく、日々の学習活動、特別活動、クラブ活動等に意欲的、主体的に取り組み、充実した学校生活を送っています。その成果は、進路やクラブ活動の結果にも表れております。

今後とも、後輩たちの活躍を温かく見守っていただきますようよろしくお願いいたします。