お知らせ

その他

2021.03.15

いのちありて

昭和20年3月13日、学徒勤労動員で動員された名古屋の軍需工場で空爆にあって、当時16歳の飯島米子さんが命を落とされました。今年はその日から76年が経ちます。

祥月命日に合わせて、学校のすぐ近くで喫茶店(そらいろのたね)を営む成田彰さんが供花においでくださいました。成田さんは神奈川県出身ですが、縁あって学校近くにお店を開かれ、来店されたお客様からこのお話を聞かれたそうです。いつも暖かく学校と生徒さんたちを見守ってくださっています。お供えくださった野の花の優しい色と香りと成田さんのお気持ちが、きっと飯島さんに届いていると思います。ありがとうございます。

「そらいろのたね」のFacebookにも成田さんの思いが記されています。

DSCN0655 DSCN0659

伊那高女33回生の皆さんが在学した4年間は太平洋戦争の真っただ中にあり、机に向かって学業に励むということも少なく、ほぼ勤労動員に明け暮れる日々でした。太平洋戦争末期の敗戦の色濃い中、わずか15、6歳の少女たちが親元を離れ、厳しい集団生活に耐えながら工員と同じように働き、大空襲などで常に死の恐怖にさらされ、ついに犠牲者が出てしまいました。その悲しい出来事を後世に伝えるとともに犠牲となった飯島米子さんの御霊を弔うということから、同学年の皆様の熱意とご努力により同窓会館前に鎮魂碑が建てられました。

※この高女33回生の勤労動員の記録が様々な形で遺されています。同窓会事務局までお問い合わせください。